第1章:軽バンが横転、右腕を失った若きドライバー
2024年7月11日、埼玉県羽生市。朝の配達に向かっていた軽バンが、荷物の重みでバランスを崩し、対向車線に横転するという事故が発生した。
運転していたのは、26歳の女性。荷物と車体の間に右腕を挟まれ、右肘から先を失うという、あまりにも痛ましい事故だった。
軽貨物業界では「過積載」は珍しくない。だが、これは“珍しくない”で済ませてよい話ではない。
最大積載量350kgの軽バンに、食品や家具など総重量約1300kgが積まれていた。明らかに無理のある量。車体は支えきれず、曲がりきれず、傾き、転がり、そして彼女の腕を奪った。
この事実が報じられたのは事故からしばらく後、会社と社長が書類送検されたタイミングだった。報道では会社名と送検内容が記されただけ。なぜそんな積載になったのか、なぜ止められなかったのかは語られていない。
書類送検が報じられたのは、事故から約9か月後──2025年4月のことだった。
すでに社会の関心は薄れ、現場の構造も変わっていない。
それでも、右腕を失った女性と、過積載で横転した軽バンがあったことだけは──紛れもない事実だ。
第2章:積載350kgの車に1300kg──何が起きていたのか?
軽バンとは、本来、都市部の配達や短距離輸送に適した小型車だ。最大でも350kgまでしか積めないその車体に、1300kgもの荷物が積まれていたという。
食品、家具──重量だけでなく、動きやすさや重心の高さも含めれば、事故のリスクは計り知れない。
ではなぜ、これほどの過積載が起きたのか?
「入ったから積んだ」では済まされない。これは、ドライバー1人では決して完結しないレベルの判断だ。
配車担当者、倉庫管理、納品スケジュール──複数の判断が積み重なって、この“ありえない積載”は成立している。
この時、現場には何があったのか。
「急ぎだった」「トラックが使えなかった」──もしそうだったとしても、それは免罪符にはならない。
過積載で走らせる判断が“日常の延長”として行われていたのだとしたら、それ自体が構造的な問題である。
この事故から9か月後にようやく書類送検が報じられた。
だが、その間に同じような判断が繰り返されていなかったと、誰が言えるだろうか。
第3章:“トラックがあるのに、使わなかった”構造的選択
この会社は軽バンしか保有していなかったわけではない。中型トラックも複数台、稼働していたという情報がある。
にもかかわらず、なぜ軽バンに1300kgを積ませたのか?
「トラックが埋まっていた」「急ぎだった」──そうした言い訳があったとしても、本来であれば配車を止める判断が必要だった。
だが現場では、「なんとかなる」「とりあえず出してみる」という空気が優先された可能性が高い。
これは単なる判断ミスではない。
トラックが空いていなくても、“軽バンでなんとかする”という誤った前提が共有されていたということだ。
つまり、“過積載ありきの配車”が現場で常態化していた疑いがある。
この空気を誰が生み出し、誰が放置し、誰が止めなかったのか。
そして、なぜそれが業界内で今も続いているのか──それこそが、真に問われるべき点である。
第4章:書類送検だけで済むのか? 問われるべき「刑事責任」
事故から9か月以上が経過した2025年4月、ようやく会社と社長は労働安全衛生法違反の疑いで書類送検された。
だが、それだけだ。
被害女性は右肘を切断し、今後の人生にも大きな制限を抱えることになった。 にもかかわらず、現時点で公になっている処分は行政上の措置のみ。刑事責任についての追及や、過積載に関わる組織的関与についての詳細は、いまだ明かされていない。
「たまたま起きた事故」ではない。明確にリスクの高い選択がなされ、その結果として一人の若者が人生を変えられてしまった。
本当にそれで終わってよいのか?
労働災害であり、業務指示の範囲で起きたことならば、問うべきは「安全配慮義務違反」だけでなく、業務上過失傷害の可能性だろう。
判断の連鎖、責任の所在、そして何より「未然に防げた命の切断」──。
このまま放置されれば、「また似たような事故」が、別の場所で、別の誰かに起こるだけである。
第5章:沈黙する現場──断れないドライバーたち
今回のような過積載事故は、氷山の一角にすぎない。現場では、ドライバーが「無理だ」と思っても、口に出せない空気が確かにある。
「言われた通りに動くのが仕事」 「文句を言えば次の仕事がもらえない」
そうしたプレッシャーは、直接的な強制がなくても、ドライバーに“選択の余地”を与えない。
立場が弱いとされる配達員──たとえば契約の浅い人や、仕事を選べない状況にある人ほど、その圧力を強く感じるはずだ。
安全を守るための判断すら「自己責任」にされてしまう現場。
声を上げれば“扱いづらい人”と見なされ、黙って従えば、いつか自分が壊れる──。
だがそもそも、こうした“我慢”を美徳とする感覚自体が、社会や教育に深く刷り込まれたものではないか。
江戸時代の庶民ですら、不条理に対しては「直訴」や「訴え」を通じて声を上げていた。一見、従順に見える時代の人々でさえ、自分たちの生活と安全に関わる問題には毅然と異議を唱えていたのだ。
それに比べ、現代の労働者が「黙って働くこと」を当然とされている構造は、むしろ異常だ。
それは教育という名の洗脳かもしれない。
この事故は、そんな構造的な沈黙が招いた結果だったのかもしれない。
荷主、運送会社、現場責任者──誰もが「誰かの判断」として責任を回避し、最後に傷を負うのはいつも現場のドライバーだ。
声なき声に、社会は耳を澄ますべきだ。
第6章:軽貨物は誰のためにあるのか──変わらなければまた誰かが壊れる
この事故は「個人のミス」ではない。誰か一人の判断で起きたことでもない。これは構造の問題だ。
納期を最優先にする社会。 人件費を削減するための外注構造。 現場に丸投げされる“なんとかしろ”という空気。
すべてが結びついて、「350kgの車に1300kgを積ませる」判断が日常の中で下された。
それでも誰も止めなかった。
事故の翌日も、その翌週も、現場は変わらず回っていた。
そして今もまた、どこかで“沈黙と自己責任”の名のもとに、誰かが危険な荷物を積んでいる。
私たちは長いあいだ、無言の合理性を受け入れてきた。
「早く・安く・文句を言わずに届けること」が当然とされるなかで、声を上げづらい空気が広がり、異常が常態化していった。
けれど、それによって守られてきたものの裏には、いつも無理を重ねる誰かがいる。
その構造を見ないふりをすれば、次の事故もまた“不可避”として片付けられてしまうだろう。
だからこそ、目をそらさず、言葉にしていく。
軽貨物の現場で起きたことを、社会全体で問い直すときがきている。