「月収50万」という幻想──軽貨物ピラミッドの底で、自由を失った理由


仕事が、突然消えた。

カメラマンとして積み上げた年月も、
スケジュール帳にびっしり埋まっていた予定も、
コロナの波に呑まれ、跡形もなく消えていった。

焦りながら、スマホを眺めていた。
ふと目に入った求人広告には、こう書かれていた。

「月収50万も可能」
「未経験歓迎」
「自由な働き方」

何もかも失った身には、その言葉が妙に輝いて見えた。

だが、そこに飛び込んで知ったのは、
自由の名を借りた自己責任地獄と、
静かに搾取されていく仕組みだった。

目次

第1章 軽貨物ピラミッド構造──中抜きの連鎖を生きる

コロナ禍で、カメラマンの仕事がほとんど消えた。
イベントも、撮影も、すべて中止になった。
予定は白紙になり、収入はゼロに近づいた。

焦りだけが募っていくなか、スマホの画面に流れてきた求人広告が目に留まった。

すぐに面接を受け、委託業者と契約した。

リース代は後払いだった。
だから、毎日口座から金が消えるわけではない。

ただ、動かない車を駐車場に置いたまま、
静かに負債だけが積み上がっていった。


走らない。
何も運んでいない車だけが、そこにあった。

「案件はすぐ回せます」と言われたが、
2週間、何の連絡もなかった。

誰にも雇われていない。
個人事業主という立場は、自由と引き換えに、待たされることにも耐えるものなのか。

契約したのは委託業者だった。
だが、実際に荷物を出す現場とは何の契約も交わしていない。
交渉もできない。
ただ、割り振られるのを待つだけだった。

Twitterには、自分を売り込むような文面が流れていた。
「30代、新人、〇〇区対応可能」
顔も名前もない。
ただ、誰かに拾われるのを待つ“在庫”だった。

やっと決まった現場は、ひ孫請けのさらに下。
初日は「研修」扱いで、日当は1万6000円。

現場の担当者に聞いてみた。
ぶっちゃけ、元請からはいくらで出ているのか。

「1万9000円だよ。税別で、」

少し笑いながら、あっさり答えた。

何もしていない。
それでも、3000円だけは、どこかで抜かれていた。

(※このあたりの詳しい事情は、別の記事で改めて書くつもりだ。)

説明もない。
フォローもない。
名義だけ貸して、中間マージンを取るだけの会社。

現場にはいない。
責任も負わない。
ただ、金だけが静かに吸い取られていく。

軽貨物の業界では、それが当たり前になっていた。

元請、下請、孫請、ひ孫請け──
報酬は、階層を下るたびに削られ、
末端に届く頃には、ほとんど骨だけになっている。

誰もが口をそろえて言う。

「うちは中抜きしてません」
「管理費だけです」
「紹介料として少しだけ」

けれど、手元を見ればわかる。
走っても、配っても、手取りは増えない。

月収50万という言葉は、
売上の話であって、手取りの話ではない。

時間効率を考えれば、すぐにわかることだった。
配送にかかる時間、待機時間、走行距離──
どう計算しても、数字は割に合わない。

もちろん、新規参入でいきなり結果を出すのは難しい。
それは、最初からわかっていた。

無理を承知で、飛び込んだ。
だが、それにしても──
静かに、確かに、違和感は積もっていった。

第2章 全部自己負担、それでも自由業扱い

軽貨物ドライバーは、個人事業主だ。

だから、すべての費用は自己負担だった。

リース代は月5万円。
ガソリン代が4万から6万円。
任意保険で1万5000円。
駐車場代、スマホ代、タイヤ、オイル交換、税金──
細かい出費を積み上げると、毎月10万円を軽く超えた。

荷物を破損すれば弁償。
時間指定をミスすればペナルティ。
配達アプリの使用料も自腹。

走らなければ、収入はゼロ。
休めば、その分だけ赤字が積み上がる。

自由な働き方。
好きなときに休める仕事。

事故を起こしても、
車が壊れても、
体調を崩しても、
誰も助けてはくれない。

──それは、すべて自己責任を前提に成り立っていた。

自由とは、
誰にも守られず、誰にも頼れないということだった。

第3章 自由という名の支配──本当の雇用関係とは?

業務委託だから、自由。
個人事業主だから、自己責任。
──たしかに、形式上はそうだった。

だが、実際に働き出してすぐに感じた。
自由という言葉は、貼り付けられた飾りに過ぎなかった。

案件は選べると言われた。
けれど、断れば次の紹介は細る。
自然と、判断が縛られていく。

働き方は、決して「自分のペース」ではなかった。

交渉の余地はない。
納得できなければ、黙って去るしかない。

誰にも縛られていない。
だが、守られてもいない。

自由という言葉が示していたのは、
好きなように働ける未来ではない。
何があっても、自分だけで責任を引き受ける現在だった。

第4章 なぜ国は動かないのか

この業界の構造が、
誰かにとって都合がいいものであることに気づくのに、時間はかからなかった。

失業者を吸収できる。
コストをかけずに物流を回せる。
統計上、失業率を下げられる。

これほど便利な仕組みはない。

だから、中抜きが横行しても、
過剰な負担が発生しても、
国も企業も、見て見ぬふりをする。

軽貨物ドライバーは、
自由を与えられた個人事業主ではなかった。

国と企業が作り出した、
「責任を取らなくていい労働力」だった。

物流の最前線で支えているのは、
自由でもなく、権利でもない。
孤立した個人たちの自己責任だった。

まとめ 自由の正体と、抜け出すために

軽貨物の働き方が、すべて悪いわけではない。
現に、自分はこの仕組みを使って生き直すことができた。

コロナ禍で途絶えたカメラマンの仕事。
軽貨物事業を展開したことで、
安定した収入基盤を作り、
再び、自分の時間と意志でカメラを持てるようになった。

軽貨物は、うまく使いこなせば、確かに武器になる。
だが、そのためには、
仕組みの裏側を冷静に見抜く目が必要だった。

自由とは、責任を背負うことだ。
孤独を受け入れることだ。

自由は、与えられるものではない。
自ら守り、掴み取るものだ。

その自由を、本当に自分のものにするために。
まず、構造を見抜くことから始めよう。

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